巌流島の決闘と小次郎の祟り
2015/07/09
小次郎の謎と巌流島の祟り
佐々木小次郎と言えば細川藩の剣術指南役であり巧みな刀の使い手と知られ、巌流島の決闘では剣豪・宮本武蔵に敗れたことで有名である。
この巌流島には『人が死んだ』『霊を見た』といったことを初めとする祟りがあると言われ、その祟りは巌流島の決闘で敗れて死んだ佐々木小次郎の霊によるものだとされている。
しかし、巌流島の決闘は1対1の剣豪同士の真剣勝負であり、立会人を設けたれっきとした決闘であるにもかかわらず、それに敗れた小次郎がこの世に無念の思いを残し祟るのはなぜなのだろうか。
そして藩の剣術指南役を務めたほどの地位にいた佐々木小次郎だが、細川藩の公式文書に一切その名は出てこないのである。
また、宮本武蔵が晩年に記したとされる兵法書『五輪書』の中には巌流島の決闘に関する記述は出てこない。
武蔵の生涯の中でも重要な決闘であったはずの小次郎との決闘についての記述が全く見られないのはなぜだろう。
佐々木小次郎は暗殺された?
スポンサーリンク
佐々木小次郎の妻が持ち帰ったとされる小次郎の遺髪を祀った阿武町にある墓には六角形の石柱がある。
この六角形の石柱の側面にはそれぞれ人型をかたどったような絵柄が彫られている。
この絵柄を詳しく見てみると、その人型はキリスト教における神父があげるミサの行程を順番にかたどってあり、宣教師の墓にも同じような六角形の石柱が存在する。
つまり佐々木小次郎は隠れキリシタンだった、というのが一説にあるのである。
そしてキリシタンである小次郎を秘密裏に殺そうとした藩の陰謀として作り上げられた舞台こそ巌流島の決闘である。
この決闘が行われた本来の目的は暗殺にあったということである。
巌流島は元々舟島という名前で知られていたが武蔵と小次郎の決闘の後に小次郎の剣術の流派である『巌流』が島の名前としてつけられた。
これは当時の風習ではよく見られた祟りや災いを鎮めるためにその霊の供養としてその場所に死んだ者の名前が付けられたものだった。(古文書などには佐々木巌流の名で登場している)
しかし、『なぜわずか一人のキリシタンの暗殺にここまで手の込んだことをする必要があるのか』という疑問が湧き上がる。
この謎を解くカギは戦国末期に起きた豊前一揆という一揆にある。
近年の研究で佐々木小次郎は福岡県添田の豪族、佐々木一族の出身とされ、この一揆を首謀した一族こそ佐々木一族なのだ。
城に立て籠もった一族の抵抗により、この一揆の鎮圧は熾烈を極めたとされる。
この一揆の首謀者一族である佐々木小次郎を暗殺し一揆を抑え込むとともに、小次郎の暗殺が公になることで新たな一揆の誘発を防ぐべく巌流島の決闘は仕組まれた。
他にもこの決闘に関する不可思議な点は数多くあり、その中でも『決闘の後、宮本武蔵は細川藩に匿われていたという事実』や『武蔵には決闘の後に鉄砲隊などの厳重な護衛がついていたこと』などは小次郎暗殺説を裏付ける物となるのではないだろうか。
あなたにオススメの記事
スポンサーリンク
関連記事
-
-
カブレラストーン 考古学の常識を塗り替える?
イカ川で発見されたなぞ大きオーパーツ。 世界的にも議論を巻き起こし、考古学の常識 …
-
-
パラレルワールド
今から50年以上昔、フランスである奇妙な事件が起こった。 赤ん坊の子守りをしてい …
-
-
天狗が書いた?謎の巻物
「天狗の詫び状」と言われる判読不能の巻物がある。 万治元年(1658年)の頃、天 …
-
-
現代物理学でも解明できない謎の階段
アメリカ、ニューメキシコのサンタフェにロレットチャペルという教会がある。 187 …
-
-
世界の行ってはいけない危ない場所
世界には様々な理由で『行ってはいけない場所』というのが存在する。 我々は地球上に …
-
-
ボーイ・イン・ザ・ボックス
1957年、アメリカ・ペンシルバニア州フィラデルフィアの大手デパートチェーン店で …
-
-
死ぬまで仮面をつけ続けた囚人の謎
その男は1669年から1703年、実に34年間、牢獄の中で捕われて死亡した。 不 …
-
-
ジョージア・ガイドストーンの謎 現代の十戒
現代の十戒とも呼ばれる巨石がアメリカのジョージア州にある。 (十戒とは予言者モー …
-
-
航海史史上最大の謎とされるメアリーセレスト号事件
メアリーセレスト号はスペンサー島のノバスコシアで建造された二本マストの帆船である …
-
-
現実になった架空小説
エドガーアランポーの冒険小説『ナンタケット島出身のアーサーゴードンピムの物語』と …
- PREV
- 今なお謎の多きブラックホール
- NEXT
- 地図上に存在しない都市


